3.11後の「日常」

先日のMTV特集を見て、大友さんの「人は非常事態のままでは生きられない。新しい日常を手に入れることが必要」という言葉が強く心に残っています。
3.11を境に、自分は確実に変わりました。ある意味「非常事態」が続いている気がします。それは自分にとって、時に身近な人に対して爆発してしまうほど、負担の大きい状態なのです。

今日(もう昨日になってしまいましたが)は、大震災から7回目の11日。一度頭の中を整理することで、自分にとっての「新しい日常」を考えてみたいと思いました。


大半が自分に対するメモです。書くことで形作り、見失わないための。
正直、見るに耐えない部分、ネガティブな感情を多く含んでいます。ある方々には不愉快な文章だと思います。それでも公開するのは、そんな自分もさらけ出した上で「人と繋がっていたいから」なのでしょうね。
見てくださる方、ありがとうございます。そして、付き合わせてしまい申し訳ありません。




僕は、こう思っています。


●あらゆる意見を否定したくない。
何故なら、科学に基づくにせよ感情に基づくにせよ、そこには「想い」があるからです。否定論は人格攻撃になりやすく、それは自分の精神衛生上したくないのです。他の人が行うのは止めませんが、見ていると辛くなります。
もちろん、自分が一説を支持することは他方の否定でもあることは理解していますが、積極的に他方のあら探しをして持論の強化や強要をする立場を取らないという意味です。
東北に残る人も離れる人も、原発に賛成の人も反対の人も、放射能の安全性を説く人も危険性を説く人も、全て認めたい。
自分のために、否定的な感情から逃れるための手段として、です。自己中でごめんなさい。


放射能は避けるに越したことはない。
LNT仮説、しきい値説、ホルミシス効果説など踏まえた上で、はっきりとした定説がない以上一番影響が少ない可能性が高い道を選びたいということです。特に、子どもに対しては。
ただ、そのために東北の方々やモノを避けることは絶対にしたくありません。食べ物にしても、子どもや奥さんには食べさせなくても僕は食べます。安全だと思えるものは極力使うようにしていきます。


原発は徐々に減らしていくのがいい。
3.11以前からの意見です。事故の危険性というよりサステナビリティの観点から、ウランの枯渇や放射性廃棄物処理・プルサーマル技術の未熟などの問題が大きいと思うからです。これは、今でも変わりません。
既存原発地震津波に対する安全性は高めていく。と同時に、リスク軽減のためにも発電は小型化・分散・再生可能エネルギー利用・双方向化を進めていくことが必要だと考えています。完全なシフトには数十年かかるのではないでしょうか。その推移を見守り続けていく責任が、僕にはあると思います。
…事故が起きるまでは、原発は悪者じゃありませんでした。東京での暮らしを成り立たせるために、東北に取り返しのつかない負債を負わせてしまった。僕は、加害者の一人です。本当にごめんなさい。


●東北(特に福島)に罪滅ぼしをしたい。
たった一度だけですがボランティアドライバーとして南相馬に入った経験が、自分の中で3.11後の核と言ってもいいほど大きいです。なぜ他の場所ではなく南相馬に行ったかというと、上記「放射能加害者としての責任」を感じていたからです。
自分ができることは少ないですが、募金、現地産品の購入、物資提供、その他やれる範囲のことを今後とも続けていきます。可能ならまた現地に行きます。加えて、リマインドし続けます。
東北に想いを寄せ続けるのは、すでに日常です。


●まず、自分と家族を大事に。
手の届く範囲が限られている以上、無理をして燃え尽き何もできなくなるよりは、できることだけでも選んで続けていけるようにしたいです。
まずは自分が精神的・身体的に健やかでいられること。そのためには、一時的に情報を遮断することもあり得ます。
本当だったら、今すぐ南相馬に移り住んで活動したい。でもできません、やってしまえば僕の全てが破綻します。ごめんなさい。


●人と自分を比べない。
積極的にボランティアに参加している方や、情報や音楽によって周りを元気付けている方を見ると、自分の無力さや行動不足を痛感します。
住居を移してまで放射能から子どもを遠ざけようという方を見ると、自分の中途半端さに不安感を覚えます。
放射能の研究を重ねて暮らしを守ろうとしている方を見ると、自分の不勉強に焦燥感を感じます。
被災地や避難先で必死に生きている方を見ると、自分の満たされた環境が申し訳なく思います。
「条件が違う。」そう思うことで、心の平静さを保たせてください。バネにして自分を高められるほど、今の僕は強くありません。ごめんなさい。




本当に苦しい七ヶ月。もちろん、被災現地の方々とは比べようもありませんが…。
「日常を手に入れる」という言葉さえ、避難生活を余儀なくされている方々からすれば空虚で酷いものだと感じられるのかもしれません。
僕の精神的な弱さ、諦めは「甘え」だと見られるかもしれません。

『絆』という言葉が用いられ、実際に感じられることもたくさんありました。ですが同時に、人は放射能によって分断され、いがみ合うようにもなってしまいました。「何故こんなことに…」という思いは拭いきれません。
そんな中で不安定な精神を抱えた僕が自分の日常を作り上げるには、ある部分からは逃避せざるを得ないことに気がつきました。
そして、それすらできず、またグズグズとした感情に苛まれることになると思います。諦めきれず、手の届かない先を掴みたくなってしまう。


それでも、
顔を上げること。
目を開くこと。
前を見ること。
足を進めること。
手を繋ぐこと。
ひとつずつ、少しずつ…。




ごめんなさい。