産みの苦しみ

友人の菜月さんから、奥さんの出産前に教えてもらったことがあります。

「陣痛は、お腹の中で赤ちゃんが外に出ようとして旋回しているために起こる。そう考えると、不思議と痛みを感じにくくなる」

これはもちろん妊婦さん向けの情報なんですが、この中にはその他の人にとっても学びがあると思います。
それは、「苦しみには意味があり、その意味を前向きにとらえることで、ただ苦しいだけではなくなる」ということです。
更に言うなら、「苦しみは新たな気付きのチャンス」という面があるということです。


具体的に書いてみます。

とある知人は、会社の事業により1億もの負債を抱えることになりました。
それ故に、貧しい人に寄り添える姿勢や、貧困から脱出するための術を身に付けることができました。現在は、近い境遇の方の悩みを聞いて解決の道筋を示すなど、素晴らしい行動をされています。

とある友人は、仕事の上で精神との不和があり、心のバランスを保つことができなくなってしまいました。今はその仕事を休んでいます。
それ故に、心が苦しくなっている人に共感する力は、誰よりもすごいと僕は感じています。

僕は、長男トモ君が産まれた際に、育児をしながら同レベルの仕事ができなかったことから、正規保育士を退職せざるを得ませんでした。
それ故に、ワークライフバランスを見直し、仕事も家庭も無理なく関われる方向を探ることができました。まだまだ過程ですが。


渡辺勝幸さんという方のメルマガを読んでいます。その中に、過去の偉人たちの経歴から学びを得ようというコーナーがあります。
渡辺さんによると、そういった方々は必ず『大病・放浪・監禁』のいずれかを経験されているそうです。
苦しみがあったが故に、気付きもあったのではないかと思います。


苦しみ=ありがたいものと言われると「そんなことはない」と思うかもしれません。
しかし、過去の辛い経験が今の自分の成長にとって不可欠だったということは、多くの人に思い当たるものがあるのではないでしょうか


苦しみを積極的に得るべきだ…と言う訳ではありません。
むしろ、得ようとしなくても苦しみは今ここに有ります。そしてその大小や優劣は本人だけが判断できるもので、他人が「甘えだ!」とか「このケースはこうすれば問題ない」と安易に言うことはできないと思っています。



これから書くのは、苦しみの解決策ではありません。
一見マイナスなものと向かい合う際に、嫌わなくて良いし、その方が楽になれることもある…という、僕が経験した気付きと感動を伝えたいのです。


嫌だと思った時。
痛いと思った時。
辛いと思った時。
憎いと思った時。
悲しいと思った時。
苦しいと思った時。

僕は、三つのことを考えるようにしています。
「いわれのないことで文句を言われた」という例で書いてみます。

一つ目は『その事象で何に気付けたか』
いわれがないと感じるということは、自分が別の内容で考えていることがあるということで、それを見直すきっかけになります。
また、相手が文句を言うということは、少なくとも一言伝えたくなるくらいに、そのことについて関心が高いということが分かります。

二つ目は『その事象が意味すること』
自分と相手の考えの間には違いがあり、どうやら誤解もあるらしいということ。
少なくとも顔を見ながら同じ言語で会話ができているということ。
相手の気持ちが収まることによって、以前よりも強い理解が得られるであろうことなどがあります。

三つ目は『その事象をどう前向きに繋げられるか』
そもそも誤解される元になった自分の考えや表現を改めてみよう、とか。
相手に自分の言葉を聞いてもらうために、まずは相手の言葉を真摯に聞こう、とか。
誤解のある部分だけを冷静に話してみよう、とか。
相手に分かりやすい言葉で話すようにしよう、とか。
この話が解決したら、もっと仲良くなれるかもしれないのが楽しみだな、とか。

…こんな風に考えていると、案外「言いがかりだ!」なんて怒りはどこかに行ってしまいます。
無理して相手を受け入れようとするってより、すべてが前向きなエネルギーに昇華するイメージです。なので、心も逆に楽だったりします。


あくまでも僕自身の体験にすぎないので、万人に当てはまるかは分かりません。
けど、もし良かったら試してみてほしいなぁと思います。


…ま、僕も唯一家族に対してだけは、こういう接し方はできないんですけどね〜( ̄▽ ̄;)
どうしても感情的になってしまう。まだまだだなぁと思います。




さて。
ここ数日続いているお腹の不調と、朝晩の頭痛についても、意味を考えてみますかねw